映画『ナラタージュ』に学ぶ、人生における「曖昧性」の意義

今日は、ある写真スタジオで打ち合わせをしたあとに

(ブログのヘッダーとプロフィール写真を変えようと思ってます)

映画「ナラタージュ」を観に行ってきました。

 

旦那さんには興味ないと言われたので、ひとり映画ですw

 

 

 

昨日の嵐会で、「想像以上に重い話だよ〜」と聞いていたから

心して臨んだわけですが…

生々しくて、後味が(いい意味で)悪かった!

 

 

どうしてもブログに書かずにいられないので、

ネタバレしない形で、私がこの映画を見て感じたことをシェアしますね。

 

 

 

 

 

 

エンドロールが終わって最初に私が感じたのは、「怒り」でしたw

なんかこう、煮え切らない気持ちもあったし、

登場人物の気持ちを理解できずに苛立ちを覚えたんです。

 

 

だけど、映画館を出て歩きながら回想しているうちに、

彼らの気持ちもだんだんと分かってきて。

 

人って、理屈や常識や理性を備えて表向きは涼しい顔してるけど、

実際は矛盾だらけで不完全な生き物であることを認めざるを得ない。

 

”誰か”との関係性や感情には、名付けることのできない曖昧さがあって、

それは自分が思っているよりもたくさん存在するんだと

突きつけられたような気がしています。

 

 


 

 

それから、ラストシーンの最後の最後がとても印象的で、心に残っています。

「この流れでエンドロールに入るのですね!」と膝を叩きたくなりましたw

 

 

ラストシーンで私が強く感じたのは、「人生とは連なりである」ということ。

 

例えば、主人公のカップルが結婚したら映画的には「ハッピーエンド」だけど、

現実は、結婚してからも明日・明後日・その後何十年と生活は続いていくわけで、

ハッピーなこともそうでないこともきっと両方訪れるじゃないですか。

 

自分にとっての「良い/悪い」「幸せ/不幸せ」「正解/不正解」って

白黒ハッキリ分けられるものじゃないし(年齢や環境でもいかようにも変わるし)

結論を急いで区切ろうとしなくてもいいのかな、と思いました。

 

 

自分を知ることも大事だけど、自分をカテゴライズしすぎないこと。

結論や正解を決めつけないこと。

 

「”曖昧性”がもたらす余白」が人生を豊かにするのかもしれないですね。

 

 


 

 

 

余韻を楽しむことのできる映画でした。

 

ちょうど雨の降る日に見たのもよかった!

作中は雨のシーンが多いので、映画の世界観と現実がリンクしました。

 

 

原作を読むだけだったら、想像力が足りなくて

ここまで深く感じられなかったかもしれません。

 

雨の日に映画館で見ることをおすすめします♡

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